y 瓶割峠 Story

2011年に瓶割峠に初めて足を踏み入れてから、瓶割峠との関りは足掛け13年になります。

私は、都会生まれの都会育ちですが、父親が現在の丹波市春日町棚原の出身で、母親が丹波篠山市大山上の出身なので、丹波、篠山はもろ私のルーツになります。

瓶割峠は丹波と篠山の境にあり、江戸時代から丹波と篠山を結ぶ交通の要所(生活道、巡礼道)で、もし瓶割峠がなかりせば、旧来の国領村の繁栄も大山村の繁栄もなかったものと思われます。

リタイヤーして余裕が出来てきたので、子供の頃から聞き覚えのある瓶割峠を一度試しに歩いてみようと思い立ち、情報不足でしたが、2011年に友人を誘って手探り状態で山に入ってみました。

現在の様に整備される前だったので、峠道は、折れ枝、倒木等が道を塞いでいて通れないヵ所だらけで、すっかり廃れて荒れ放題で、まさに足を踏み入れたと言える状態でした。

ところで、瓶割峠には今も二筋の峠道があります。江戸時代から続く古道と明治26年に新設された新道です。従って、瓶割峠も古道の西峠と新道の東峠があります。

迷い迷いで山歩きをしている途中で、新道の東峠に遺されている顕彰碑を見つけました。

そこには、明治26年に新道を新設するために地元で貢献した人たちの芳名が刻まれていました。

なんと、そこには大山側に西尾源次郎(母方の曾祖父)の名が、国領側に上田捨蔵(父方の曾祖叔父)の名が刻まれているを見つけました。

昔から両親の先人たちが瓶割峠に深く関わっていたことを知り、何かジ~ンとくるものがあり、先人からのミッションを引き継ぐためのライフワークのスイッチが入った感じがしました。

瓶割峠プロジェクトの序章の始まりです。今回はとりあえずこの辺で..

瓶割峠プロジェクト推進連絡会世話人
上田正三(棚原「本上田邸」当主)

瓶割峠は面白い!

初めて瓶割峠を歩いた時、衝撃を受けました。

全く別の地域だと思っていた丹波市国領地区と、丹波篠山市大山地区が繋がっていたなんて!
しかも車でも30分はかかる道が、歩いて1時間で行けるだなんて!!
まるで狐につままれたような感覚を覚えました。でも、本当に繋がっているんです。

しかも、峠の丹波側は自然林が多く変化に富んだ道 丹波篠山側は植林がスッと整列した歩きやすい道 そのパッキリとした違いもまた面白い。 地形を読み、こんな峠をつけた先人の知恵に、ただただ感動。
どんな人が通ったのだろう、どんな思いで通ったのだろう。想像しながら歩くと過去と繋がれるようで、この歴史ある峠を次は私たちが未来を生きる人たちに残したいと強く思いました。 一度、歩いてみてください。びっくりするから!楽しいから!いいとこやからー!!

瓶割峠プロジェクト推進連絡会幹事、丹波市生まれ丹波市育ち 日本山岳ガイド協会認定登山ガイド
中辻 郁美

ポールを使って、楽々ウォーキング

山に登る。 瓶割峠は、キツすぎる山ではないとはいえ、やっぱり登山。アップダウンのコースになりますよね。そんな時!2本のポールがあると、安心感もあるし、かなり助けにもなります! 自然豊かな山の中を、葉っぱの音や水の音、鳥の声なんかに耳を澄ませながら、ゆったり歩くと最幸です。

丹波市在住 ノルディックウォーキングインストラクター
余田 幸美

瓶割峠北側の春日町国領に住み、自然農で耕作している眞継(マツギ)と申します。

私はこの地で生を受け幼少期を過ごし、40数年間各地を転々とした後、3年前にUターンで帰ってきました。眞継という名前は丹波地域でも珍しいようで、「どちらの出身ですか」と聞かれることもしばしば。戸籍を見る限りでは江戸時代からここに住んでいたことは確かで、先祖の墓には天文の年号が刻んであります。文献によると職業は鋳物師だったそうです。天文は戦国から江戸へと移り変わる時代でした。

この地域は古くは長谷村と呼ばれており長谷城跡や長谷大池といった場所があります。長谷大池には展望台があり、毎年地元のメンバーでメンテナンスしています。最近は景観もよくなりました。

長谷城は岩戸神社西側の岩山にあるということで野良仕事の合間にかつての景色に思いを馳せています。岩戸神社には丹後元伊勢から大和への遷座の際に豊受大神が休息されたという伝説があります。社務所の横にある古塚がその記念であるとの事。きっと瓶割峠も越えられたのではないでしょうか。

東側には地元の人々が東山と呼んでいる山があります。知る人ぞ知る滝があります。南側には瓶割峠がある分水嶺の低山がこの地域を守るかのように波打っています。この景色が丹波の由来になったのかもと想像を巡らせています。
とにかく、幼い頃から大好きな風景だったこと伝われば嬉しいです。

信じるか信じないかはあなた次第の話ですが「ガイアの法則」という書籍があります。丹波市を通っている東経135度(日本標準子午線)のどこかが次の文明の中心になるという話です。

次の文明は、人と自然がともにハッピーになる事がテーマになると思っています。私は自然農を通じて自分の圃場をそんな場所にしたいと本氣で思っています。

瓶割峠活性化プロジェクトに関わることができとても感謝しています。

まんま楽農園
眞継 裕己

今も昔も変わらないもの

ひと昔前は、ここを歩いて渡り、嫁いだ人も多いとか。

今のような道もなく難所が続く山だったそうで、荷車に乗せた瓶がよく割れるから「瓶割峠」。なんとも歴史を感じる名前です。

たくさんの人がここを歩いてきたんだな、と思うととてもノスタルジックな気持ちになります。

現代を生きる私は、手には瓶ではなくチェーンソーを、足元は足袋ではなくチェーンソーブーツを履いて、登山道整備でこの山に関わらせてもらっています。

時代が変わっても、四季ごとにうつりかわる景色はきっと今も昔も変わらないのだろうなぁと思うと、先人が残したこの風景を守りたい、と思わずにいられません。

この山道も景色も、ずっとずっと未来まで続くことを願っています。

丹波市木の駅プロジェクト
阪口明美

大師堂にて瞑想&呼吸法

瓶割峠の大師堂にて瞑想&呼吸法を体験しました。

小鳥のさえずり、樹の葉や枝が風で揺れる音。
最初は緊張していた身体も少しずつリラックスしそこにある自然と 一体化した感覚になりました。 その日の少しばかり強い風は 好奇心旺盛なわたしの背中を このままの勢いで走り続けて良いよ!と伝えて押してくれたような感じがして勇気と元気をもらいました。

そして、この歴史ある古道を歩きながらそこに自生している植物を観て この地の先人たちと同じ感覚でわたしは歩いてるのかなと想像してみたりと楽しかったです。
歩きやすい登山道なので次は子供たちと一緒にまた登山をしたいです。

mocca
辻聖子

国領のお隣の大路地区に嫁いで幾年か。

国領のお隣の大路地区に嫁いで幾年か。
瓶割峠がロマンあふれる暮らしの道に蘇るプロジェクトを知り、わくわくしています。

ご先祖に「大路焼き小橋長右衛門」のつながりがあり、その営みに思いを馳せました。
先日、この道を丹波篠山市側から登山して、大師堂で瞑想するという素晴らしい機会に恵まれました。

針葉樹の植林、水の流れ、広葉樹の森をぬける表情豊かな山道。植生の変化や草木の美しさ、新たな芽吹きなど存分に楽しみながら大師堂に到着。そこで瞑想の時を過ごし、心身が森の中にとけ込む心地を堪能することができました。 その昔、もしやご先祖様が大山を通って来られたのかしら。あるいは国領側から焼き物が篠山へと渡ったこともあるのかしら。
想像を膨らませ、瓶割峠をあとにしました。

NPO情報社会生活研究所事務
iso乃家運営事務
小橋裕子

瓶割峠公式ウエブサイト制作者より

「峠のウエブサイトを作る」という、とんでもなく楽しそうなオファーに、ワクワクしながらOKの返事をしたものの、非コマーシャル、無生物、顔もなくて言葉もしゃべらない「峠」が主人公のウエブサイトはいったいどう作ればいいのか、暗闇を手探りで進むような作業が、そこから始まりました。

「峠」の全体を説明しようとすると、どうしても輪郭がぼやけてしまう予感がしたので、発想を大きく変えて、思い切り「寄り」の描写をギュっと集めたものを作ってみました。峠に関わるたくさんの想いが感じられる良いウエブサイトが出来上がったと思います。

瓶割峠は、きれいな里山の峠道です。木漏れ日を見上げ、土の柔らかさに触れ、風に耳を澄ませ、野いちごを味わい、心地よく自然に溶け込める空間。山頂を目指すルートとも、目的地までの山道とも少しずつ違う、立ち止まることで幸せを感じることの出来る「峠」を、ぜひ一度訪れてみてください。

瓶割峠プロジェクト推進連絡会事務局長、ワタナベ・カンパニー代表
渡辺 顕