瓶割峠の登山道整備は、NPO法人日本森林ボランティア協会のメンバーが中心となって行っています。

1997年10月に設立されたNPO法人で、理事長は地元在住の森林インストラクター”マリオさん”こと、山崎春人氏 。

市民ボランティアの手で、間伐・除伐などの必要な手入れがされていない森林の手入れを行い、健全な森林になるように活動をされている団体です。 また、市民参加の森づくり運動をする為、森林ボランティアリーダー育成を目的とした森林大学(市民大学)も開校されています。

瓶割峠プロジェクトになくてはならない存在の森林ボランティア協会のメンバーさん。
そんなみなさんを代表し、メンバーのCさん(40代女性)、理事長の山崎さんに、森林整備にかける想いをお聞きしました。

—Cさんが整備活動に参加しようと思われたきっかけは?

Cさん:「私は丹波市へ移住してくる前は都会で暮らし、山とは無縁の生活をしていました。でもずっと、何かに違和感を感じながら生きていたんです。そんな中、友人の誘いで行った登山をきっかけに山の魅力に目覚めました。そうして山に癒され、自分自身を取り戻し始めた時にふと思いました。
自分は山に助けられたけど、この山はどんな悩みを持っているのか、今度は自分が聞いてあげたいと。そこで見つけたのが、日本森林ボランティア協会が開催していた森林大学でした。
そこの講師がなんと、マリオさんだったんです!そのご縁もあり、丹波に移住。地域おこし協力隊として、森林整備を手掛けるようになりました。」

—実際に森林整備活動をしてみて思うことは?

Cさん:「自然の中に身を置くことで癒されたり、生きている実感を強く得られます。もちろん、対自然とのことだから普段しない経験は多いです。それに木を切る行為は危険度が高く、一歩間違うと大惨事にもなりかねません。だからこそ生きていてよかったと思うし、体力的にキツい事があっても、それも含めて楽しいと感じています。
森林整備を続ける事で日が入らず真っ暗だった山が明るくなったり、それにより植生が多様に変化していくのを身近に感じられるのも楽しいし、嬉しいですね。みんなで協力しながらできるという所にも、やり甲斐を感じています。」

—確かに。みなさんを見ていてチームワークの良さを感じました。

Cさん:「みんな整備活動に関わるきっかけは様々。世代も経験年数も様々ですが、その分多様な学びがあります。最近は30代から40代の若い世代の間でも、山に関わる人が増えてきたんですよ。女性も多い!コロナ後に移住者が増えたということもありますが、担い手が育つのはとても嬉しい事ですね。どんどん整備活動に関わっていってほしいと思います。」

—マリオさん、森林ボランティア協会の活動範囲は?

マリオさん:「主に兵庫・大阪・京都・奈良・和歌山が中心で、近くは篠山丸山集落や、吉川にも活動地があります。「月に一度は山仕事」を基本に毎週、どこかの活動地で山作業を行っています。今日のメンバーは、遠くは須磨や吹田、天王寺からも駆けつけてくれました。」

—整備活動で大変なことは?

マリオさん:「瓶割峠の場合は、整備地までのアクセスが大変。重い機材を持って峠まで登らないといけないでしょ。ということは、木の搬出も大変ですね。重機は入らないし、人力しかない。あとは、かかり木(チェーンソーで伐採した木が予期せぬ方向へ倒れかかってしまい、木の先端が地上まで落ちてこない状態)なんかもね。木を一本倒すのに1~2時間かかる時もあります。大変ややこしいけど、ややこしいほど真剣に向き合い、それをも楽しむ人達がいるんですよ」

—おお。今日も大変な荷物を担ぎながらも笑顔のみなさんに驚きました。マリオさんが一番楽しいと感じられる事は?

マリオさん:「やっぱり、山が育っていくこと。整備の時はコシアブラやタカノツメなどの山菜を残して伐採します。食べられる山っていいでしょ?暗かった山に木漏れ日が入り明るくなっていくのを見るのはやっぱりいいですね。」

—瓶割峠整備計画の最終形のイメージは、どんな風にお持ちですか?

マリオさん:「瓶割峠のいいところは、人工林が少ないところ。昔ながらの里山風景がまだ残っている。昔はもっと山と人が近く、楽しいからでなく、燃料を得る為、生きるために山に入っていたでしょ。だから自然と整備もされていた。その頃の里山らしい景観を取り戻したい。
今、鹿の食害が問題になっているけど、暗い山ではもし新芽が出ても鹿に食べられてしまい、育たない。でも山が明るくなると鹿にとって警戒しないといけない場所になってくる。それに日当たりが良くなるとミツバツツジが咲いたりね。花がある山っていいよね。
登山道にステップをつけたり、そうして人が入りやすい、身近な存在の里山にしていきたいですね。」

整備活動には地元国領地区の方も参加されていて、小学生の頃に瓶割峠を通って鐘ヶ坂まで遠足に行ったというお話も聞かせていただき、瓶割峠が見てきた歴史を思うと胸が熱くなりました。

みなさん体力的には大変な活動をされているのに、生き生きとした表情だったのがとても印象的でした。 山を後世に繋ごうという思いを持つきっかけは十人十色。

やりたい!という思いがあれは、たくさん方法がある。それぞれの立場から、その時に無理なくできることを実際に行動に移す事が大切なんだなと改めて思いました。
これからの瓶割峠が、とても楽しみです。

インタビュアー:中辻郁美